100回目の君へ【第2部】何度目の恋(第九章101回目の声)

小説
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第九章 101回目の声

 電話が切れたあとも。

 凛音はしばらく動けなかった。

 耳に残っている。

 あの声。

 少しだけ震えていた。

 でも。

 間違いなく。

 自分の声だった。

「……私」

 凛音は呟いた。

「101回目の私って……」

 悟は何も言わない。

 ただ、凛音の手にあるスマホを見ていた。

「悟」

「うん」

「どう思う?」

「分からない」

「……」

「でも」

 悟は少し考えてから言った。

「一つだけ」

「何?」

「俺は、あの声を聞いたことがある」

 凛音の目が見開かれる。

「いつ?」

「覚えてない」

「また?」

「うん」

「でも、知ってる?」

「知ってるというより」

 悟は眉を寄せた。

「ずっと前から聞いていた気がする」

「ずっと前って?」

「生まれる前」

 凛音は黙った。

 その言葉を。

 さっきも聞いた。

 悟は自分が何を言っているのか分からないような顔をしていた。

「俺さ」

「うん」

「たまに思うんだ」

「何を?」

「俺って、本当に生まれたのかなって」

 凛音は息を止めた。

「何それ」

「変だよね」

「うん」

「でも」

 悟は空を見上げた。

「俺には、出生前の記憶がある」

「……」

「誰かに名前を付けられた記憶」

「誰に?」

「分からない」

「どんな名前?」

 悟は答えた。

「久遠悟」

 凛音は背筋が寒くなった。

「最初から?」

「うん」

「生まれる前から?」

「たぶん」

「たぶんって……」

「夢かもしれない」

 悟は笑った。

「記憶なんて、そんなものだから」

 でも。

 凛音には分かった。

 悟は笑っているけれど。

 本当は怖い。

 自分が何者なのか分からない。

 それは。

 凛音も同じだった。

 翌日。

 凛音は学校を休んだ。

 理由は簡単。

 怖かったからだ。

 世界が。

 自分自身が。

 そして。

 悟が。

 全部、怖かった。

 ベッドの上で。

 凛音は写真を眺めていた。

 2027年9月26日。

 一年後。

 写真に写っている二人の子ども。

 どう見ても。

 自分と悟に似ている。

「……どういうこと?」

 写真を裏返す。

 ――101回目の君へ。

 その文字を指でなぞる。

「101回目って」

 誰が決めた?

 100回目までの世界を作ったのは誰?

 101回目は何?

 そして。

 この写真は。

 誰が撮った?

 凛音は机の引き出しを開けた。

 ノートを一冊取り出す。

 表紙に。

 自分の名前を書く。

 天星凛音。

 その下に。

 大きく。

 こう書いた。

 【私について分かっていること】

 一。

 私は18歳。

 二。

 2026年に生きている。

 三。

 久遠悟という転校生と出会った。

 四。

 私は何度も彼と出会った記憶がある。

 五。

 私は何度も死んだ。

 六。

 悟はその多くを覚えている。

 七。

 懐中時計は11時59分を示している。

 八。

 時計には「100回目の君へ」と書かれている。

 九。

 現在、時計には「101回目の君へ」という文字も現れた。

 十。

 私は世界を繰り返している可能性がある。

 十一。

 世界が作られている可能性がある。

 十二。

 誰かが私たちを観測している可能性がある。

 十三。

 私は世界を壊している可能性がある。

 十四。

 私は悟を救おうとしている可能性がある。

 十五。

 私は。

 そこで。

 ペンが止まった。

 十五。

 何を書けばいい?

 凛音は考えた。

 そして。

 ゆっくり書いた。

 十五。

 私は悟が好き。

 書いた瞬間。

 顔が熱くなった。

「……何書いてんの私」

 慌てて消そうとした。

 でも。

 消せなかった。

 ペンで書いた文字は。

 何度消しゴムで擦っても残っている。

「……油性?」

 そんなわけがない。

 普通のシャープペンシルだ。

 それなのに。

 消えない。

 凛音は怖くなってノートを閉じた。

 午後。

 インターホンが鳴った。

「はい」

『俺』

「……悟?」

『うん』

 凛音は玄関を開けた。

 悟が立っていた。

「なんでいるの?」

「学校休んだから」

「それだけ?」

「それだけじゃない」

 悟は小さな袋を持っていた。

「プリン」

「……」

「お見舞い」

「病気じゃないけど」

「心が病気かもしれない」

「誰のせいよ」

「俺?」

「半分くらい」

「じゃあ、残り半分は?」

「世界」

 悟が笑った。

「なるほど」

「入る?」

「いいの?」

「外でプリン食べる?」

「それも面白そうだけど」

「じゃあ入って」

 二人はリビングに入った。

 凛音はプリンを冷蔵庫に入れる。

「食べる?」

「今?」

「うん」

「じゃあ」

 二人でテーブルについた。

 しばらく。

 何も話さなかった。

 ただ。

 プリンを食べる。

「……」

「……」

「おいしい」

「うん」

「普通だね」

「何が?」

「こういうの」

 悟がスプーンを止める。

「普通の家で」

「うん」

「普通にプリン食べる」

「うん」

「なんか」

 悟は笑った。

「初めてかもしれない」

「……」

 凛音は悟を見る。

「ねえ」

「うん」

「もし本当にこれが初めてなら」

「……」

「大事にしようよ」

 悟は少しだけ目を伏せた。

「うん」

「何回目でも」

「うん」

「100回目でも101回目でも」

「うん」

「この一回くらいは」

 凛音は笑った。

「普通でいいよね」

 悟も笑った。

「うん」

 その瞬間。

 リビングの時計が止まった。

「……」

 二人が同時に時計を見る。

 午後3時12分。

 秒針だけが。

 止まっている。

「……また?」

 凛音が立ち上がる。

 時計に近づく。

 秒針に触れる。

 動かない。

「悟」

「うん」

「これ」

「……」

 悟は懐中時計を取り出した。

 こちらも。

 11時59分。

 止まっている。

「もしかして」

 凛音が言う。

「時間が止まってる?」

「いや」

 悟は窓の外を見る。

 車が走っている。

 風で木が揺れている。

 鳥が飛んでいる。

「世界は動いてる」

「じゃあ」

 凛音は時計を見る。

「時計だけが止まってる」

「そう」

「なんで?」

「分からない」

「……」

「でも」

 悟は懐中時計の裏を見る。

「文字が増えてる」

「え?」

 凛音が近づく。

 そこには。

 昨日までなかった文字があった。

 ――観測者が介入しました。

「観測者?」

「うん」

「誰?」

「分からない」

 凛音は黙った。

 そして。

「私たちじゃない?」

 悟が凛音を見る。

「どういう意味?」

「私たちが、世界を観測してるんじゃない?」

「……」

「だって」

 凛音は言う。

「世界って、誰かに見られて初めて存在するって考え方もあるでしょ?」

「量子力学?」

「よく分からないけど」

「雑だな」

「でも」

 凛音は笑う。

「もしかしたら、私たちがこの世界を見てるから、この世界が存在してるのかもしれない」

「……」

「だから」

 凛音は自分の胸を指差した。

「私が見るのをやめたら」

「世界が消える?」

「そう」

 悟はしばらく黙っていた。

「じゃあ」

「うん」

「俺が君を見るのをやめたら?」

 凛音は悟を見る。

「……嫌」

「なんで?」

「それは」

 言葉が詰まる。

「……寂しいから」

 悟が笑った。

「そっか」

「何?」

「安心した」

「何が?」

「俺も同じだから」

 二人の視線が重なる。

 その瞬間。

 懐中時計が。

 カチ。

 1秒だけ動いた。

 凛音は時計を見る。

「……今」

「うん」

「私たちが話してたら動いた」

「じゃあ」

 悟が言う。

「この世界は」

「……」

「俺たちの会話で進んでるのかもしれない」

「そんな馬鹿な」

 凛音は笑った。

 でも。

 その笑い声が。

 どこか不自然に響いた。

 まるで。

 部屋そのものが。

 その言葉を聞いていたように。

 その夜。

 凛音は夢を見た。

 今までとは違う夢だった。

 自分が。

 自分を見ている。

 鏡のように。

 向かい合う二人の凛音。

 一人は今の凛音。

 もう一人は。

 白衣を着ている。

「あなたは誰?」

 凛音が聞く。

 白衣の凛音は答える。

「あなた」

「違う」

「同じだよ」

「私はあなたじゃない」

「そう思ってる?」

「……」

 白衣の凛音は笑う。

「じゃあ、質問するね」

「何?」

「あなたが今まで見た夢は」

「……」

「本当に過去?」

 凛音は答えられない。

「未来かもしれない」

「……」

「作られた記憶かもしれない」

「……」

「誰かに見せられた映像かもしれない」

 白衣の凛音が一歩近づく。

「それでも」

 耳元で。

「あなたは、それを自分の人生だと思う?」

 凛音は震えながら答えた。

「……分からない」

 白衣の凛音は笑った。

「それでいい」

「え?」

「分からないまま進んで」

「どうして?」

「答えを知ったら」

 白衣の凛音の目から涙が落ちた。

「また、世界を作り直しちゃうから」

「……」

「今度こそ」

 白衣の凛音が手を伸ばす。

「悟を忘れて」

「嫌」

 凛音は即答した。

「どうして?」

「好きだから」

 白衣の凛音が泣きながら笑う。

「……やっぱり」

「何?」

「あなたは、私だね」

 そこで。

 夢が終わった。

 朝。

 凛音は目を覚ました。

 枕が濡れている。

「……夢?」

 でも。

 手の中に。

 何かがある。

 小さな紙。

 折りたたまれている。

 凛音は恐る恐る開いた。

 そこには。

 自分の字で。

 こう書かれていた。

 ――悟を忘れないで。

「……」

 凛音は紙を握りしめた。

 その瞬間。

 スマホが鳴った。

 悟からだった。

『起きた?』

 凛音は返信する。

『うん』

 すぐに返事。

『夢、見た?』

 凛音の指が止まる。

『どうして?』

 既読。

 少し間があって。

『俺も見たから』

 凛音は画面を見つめた。

『何の夢?』

 悟からの返信。

『君を忘れる夢』

 凛音の胸が苦しくなる。

『どうだった?』

 しばらく返事が来なかった。

 やがて。

『最悪だった』

 凛音は少し笑った。

 涙が出た。

『私も』

 送信。

 そして。

『じゃあ、忘れないようにしよう』

 悟から。

『うん』

 その一言を見た瞬間。

 凛音は思った。

 もしかしたら。

 世界を救う方法なんて。

 最初からなかったのかもしれない。

 もしかしたら。

 何度もやり直すことそのものが。

 間違いだったのかもしれない。

 でも。

 今は。

 一つだけ。

 確かなことがある。

 忘れたくない。

 それだけだった。

 その日の夜。

 午前0時。

 凛音は懐中時計を開いた。

 針が動いている。

 11時59分57秒。

 58。

 59。

 そして。

 12時。

 何も起きなかった。

「……」

 凛音は笑った。

「やっぱり何も起きない」

 時計を閉じようとした。

 そのとき。

 裏面に。

 新しい文字が浮かんだ。

 ――100回目の観測を終了します。

 凛音は固まった。

「……観測終了?」

 その下。

 さらに文字が現れる。

 ――次の観測対象を選択してください。

 その瞬間。

 部屋の電気が消えた。

「……え?」

 真っ暗。

 スマホも。

 時計も。

 何も光らない。

 完全な暗闇。

 凛音は息を殺した。

 すると。

 暗闇の中から。

 声がした。

「凛音」

「……悟?」

「うん」

「どこ?」

「分からない」

「またそれ……」

 凛音は手を伸ばす。

 何もない。

「悟」

「うん」

「手、どこ?」

「ここ」

 指先が触れた。

 次の瞬間。

 強く手を握られる。

「……いた」

 凛音は泣きそうになった。

「うん」

「怖かった」

「俺も」

 二人は暗闇の中で。

 手を握っていた。

 そのとき。

 目の前に。

 白い文字が浮かび上がった。

 ――第一候補:世界A。

 次。

 ――第二候補:世界B。

 次。

 ――第三候補:世界C。

 そして。

 最後。

 ――観測対象:天星凛音/久遠悟。

 凛音は息を呑む。

「私たちが」

 悟が答える。

「観測対象?」

「……」

「そうみたいだ」

 凛音は画面を見つめた。

 そして。

 その下に。

 最後の一文が現れた。

 ――この二人が、本当に存在するか確認してください。

 凛音は悟の手を強く握った。

「悟」

「うん」

「存在って」

「うん」

「どうやって確認するの?」

 悟は答えなかった。

 やがて。

 白い文字が一つだけ残った。

 ――愛しているなら、証明してください。

 凛音は画面を見つめた。

 悟も。

 何も言わない。

 暗闇の中。

 二人の手だけが。

 確かにつながっていた。

 そして。

 どこからともなく。

 あの声が聞こえた。

 ――次の人生では、絶対に間違えないで。

 凛音は目を閉じた。

 もう。

 その言葉を恐れなかった。

「……違う」

 凛音は言った。

「私は」

 悟の手を握る。

「次の人生なんて」

 一度、深く息を吸う。

「いらない」

 その瞬間。

 世界が。

 白くなった。

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