100回目の君へ【第二部】何度目の恋(第七章初めまして)

小説
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第七章 初めまして

 凛音は、床に落ちた懐中時計を見つめていた。

 カチ。

 小さな音。

 けれど、秒針は動かない。

 11時59分。

 昨日と同じ。

 何度見ても。

 何度生まれ変わっても?

 そこだけは変わらない。

「……初めまして?」

 凛音は、目の前にいる悟を見た。

 いや。

 悟ではない。

 少なくとも、今の彼はそう名乗っていない。

 制服も違う。

 髪型も違う。

 それなのに。

 顔は。

 声は。

 目は。

 間違いなく久遠悟だった。

「どうしたの?」

 彼が首を傾ける。

「……あなた」

「僕?」

「久遠……悟?」

 その名前を口にした瞬間。

 彼の表情が変わった。

 ほんの一瞬。

 驚いたような。

 怯えたような。

 そんな顔。

 でもすぐに戻った。

「僕の名前、知ってるの?」

「……」

 凛音は答えられなかった。

 知っている。

 知っているどころではない。

 99回。

 もしかしたら、それ以上。

 何度も出会った。

 何度も好きになった。

 何度も失った。

 何度も殺された。

 そして。

 何度も殺した。

 そんな相手が。

 目の前で。

「初めまして」

 と言っている。

「……冗談でしょ」

「え?」

「冗談だよね?」

「何が?」

 凛音は一歩近づいた。

「私のこと」

「うん」

「知らない?」

「知らない」

「本当に?」

「本当に」

 彼は困ったように笑った。

「でも」

「……でも?」

「君の名前は、前から知ってる気がする」

 凛音の心臓が跳ねた。

「どうして?」

「分からない」

 また。

 分からない。

 その言葉。

 今まで何度聞いただろう。

 でも。

 この悟は違う。

 凛音を知らない。

 記憶もない。

 それなのに名前だけ知っている。

「じゃあ、あなたは誰なの?」

 彼は少し考えた。

「久遠悟」

「……」

「たぶん」

「たぶん?」

「名前くらいしか、今は自信がない」

 凛音は黙った。

 そのとき。

 廊下から足音が聞こえた。

 先生だ。

「久遠くん、ここにいたのか」

「はい」

「転校初日から迷子になるなよ」

「すみません」

 先生は凛音を見る。

「あれ? 天星もいたのか」

「……はい」

「じゃあ、二人とも教室に戻れ」

「はい」

 先生が先に歩いていく。

 悟もその後を追う。

 凛音はその場から動けなかった。

 先生は言った。

 転校初日。

 そして。

 凛音のクラスには。

 久遠悟という転校生が。

 今日、初めて来た。

 それは。

 昨日と同じだった。

 いや。

 違う。

 昨日の悟は。

 初めて会った瞬間に。

 ――やっと会えた。

 そう言った。

 今の悟は。

 ――初めまして。

 そう言った。

 たった一言。

 それだけで。

 世界がまるで別物になった。

 教室に戻ると。

 悟は昨日と同じ席に座った。

 斜め前。

 それも同じ。

 凛音は自分の席に座った。

 先生が黒板に名前を書く。

 久遠悟。

 クラスメイトたちが興味津々で悟を見る。

「久遠くんってどこから来たの?」

「好きな食べ物は?」

「部活は?」

「彼女いる?」

 質問が飛び交う。

 悟は困ったように笑いながら答えている。

 その光景を見ながら。

 凛音は妙な気持ちになった。

 懐かしい。

 昨日と同じ。

 いや。

 もっと前から知っている。

 ずっと前。

 ずっとずっと前。

 そんな気がする。

「天星」

「え?」

 先生に呼ばれて顔を上げる。

「ぼーっとするなよ」

「あ、すみません」

 クラスに笑いが起きる。

 凛音も笑った。

 でも。

 心の中では笑えなかった。

 ――これは、あなたが読んでいる世界です。

 昨日見た紙。

 あれは何だったのか。

 誰が書いたのか。

 そして。

 なぜ。

 「読んでいる」

 という言葉を使ったのか。

 昼休み。

 凛音は一人で屋上に向かった。

 扉を開ける。

 風が吹いた。

 昨日と同じ景色。

 青い空。

 遠くに見えるビル。

 校庭から聞こえる声。

 何も変わっていない。

 凛音はフェンスに手を置いた。

「……100回目は、まだ始まっていない」

 黒板に書かれていた言葉を思い出す。

「じゃあ、今は何なの?」

「何が?」

 背後から声。

 凛音は振り返った。

 悟だった。

「……来たの?」

「うん」

「なんで?」

「君がいたから」

「それ、昨日も言った」

「昨日?」

 悟が眉をひそめる。

「あ……」

 しまった。

 今の悟は昨日を知らない。

「ごめん」

「何が?」

「なんでもない」

「そう」

 悟は凛音の隣に立った。

 しばらく沈黙。

 やがて。

「変な夢を見た」

 悟が言った。

 凛音の心臓が跳ねる。

「どんな?」

「分からない」

「また?」

「うん」

 悟は空を見た。

「たくさんの人がいた」

「どんな人?」

「君みたいな人」

「……私?」

「違う」

「え?」

「君に似てるけど、君じゃない」

 凛音は息を呑んだ。

「何をしてたの?」

「泣いてた」

「誰が?」

「僕」

 悟は自分の胸に手を当てた。

「僕が、ずっと泣いてた」

 凛音は何も言えなかった。

「それから」

「うん」

「誰かが言った」

 悟は目を閉じる。

「次の人生では、絶対に間違えないで」

 凛音の体が震えた。

「……今、なんて?」

「え?」

「もう一回言って」

「何を?」

「その言葉」

 悟は不思議そうに凛音を見る。

「次の人生では――」

「……」

「絶対に間違えないで」

 その瞬間。

 凛音の頭の中に。

 大量の映像が流れ込んできた。

 雨。

 戦場。

 刀。

 白衣。

 病室。

 炎。

 海。

 雪。

 そして。

 無数の「凛音」。

 無数の「悟」。

 同じ顔。

 違う服。

 違う時代。

 違う関係。

 恋人。

 兄妹。

 敵。

 親子。

 他人。

 殺す側。

 殺される側。

 救う側。

 救われる側。

 そのすべてが。

 同時に。

「……っ!」

 凛音は膝をついた。

「凛音!」

 悟が支える。

「大丈夫?」

「……あなた」

「うん」

「やっぱり……悟なの?」

 悟は答えなかった。

「ねえ」

「……」

「私たち、何回会った?」

「分からない」

「嘘」

「本当に分からない」

「じゃあ、なんであの言葉を知ってるの?」

「夢で見たから」

「誰の夢?」

「分からない」

 凛音は悟の顔を見る。

 目の前の彼は。

 昨日までの悟とは違う。

 でも。

 完全に別人でもない。

 まるで。

 何かを知らないまま。

 同じ場所に配置された人間。

 そんな感じだった。

「……ねえ、悟」

「うん」

「もし」

 凛音はゆっくり立ち上がった。

「私たちが何回も繰り返してるんじゃなくて」

「……」

「何回も作られてるんだとしたら?」

 悟の顔が固まった。

「作られてる?」

「うん」

「誰に?」

「分からない」

 今度は凛音が言った。

「でも」

 胸元から懐中時計を取り出す。

「この時計には、100回目って書いてある」

 悟は時計を見た。

 その瞬間。

 顔色が変わった。

「……それ」

「知ってる?」

「いや」

「じゃあ、どうしてそんな顔するの?」

「……」

 悟は時計から目を逸らした。

「見たことがある」

「どこで?」

「夢の中」

「どんな夢?」

「部屋」

「部屋?」

「白い部屋」

 凛音の背中に寒気が走る。

「そこに何があったの?」

「たくさんの画面」

「画面には?」

「数字」

「何の数字?」

 悟は眉を寄せる。

「100」

「……」

「99」

「……」

「101」

 凛音は言葉を失った。

「それから」

「うん」

「僕が言った」

「何を?」

 悟は凛音を見る。

「もう一回だけ」

「……」

「もう一回だけやれば、今度こそ君を救えるって」

 凛音の手から時計が落ちた。

 カチン。

 床に転がる。

 針は。

 11時59分。

「……悟」

「うん」

「それ、いつの夢?」

「分からない」

「昨日?」

「違う」

「じゃあ?」

「たぶん」

 悟は苦しそうに目を閉じた。

「僕が生まれる前」

 その日の放課後。

 凛音は一人で図書室にいた。

 未来の新聞を探していた。

 2053年。

 天星凛音死亡。

 当然そんなものは存在しなかった…

「世界は変わった?」

 凛音は呟く。

 そのとき。

 図書室のパソコンが勝手に起動した。

「え?」

 画面が暗い。

 数秒後。

 白い文字が一行だけ表示された。

 ――検索対象を確認。

 凛音は固まった。

「……何?」

 次の文字。

 ――天星凛音。

 さらに。

 ――対象年齢:18歳。

 ――世界番号:100。

 ――状態:観測中。

「……世界番号?」

 凛音は椅子から立ち上がった。

 画面の文字が変わる。

 ――観測者が覚醒しました。

「観測者……?」

 そして。

 最後に一行。

 ――次の世界への移行条件を確認してください。

 その下に。

 選択肢が二つ表示された。

 【A:久遠悟を残す】

 【B:世界を残す】

 凛音は息を呑んだ。

「……なんで」

 誰もいない図書室。

 パソコンの画面だけが光っている。

「なんで、そんな選択肢なの……?」

 画面の下に。

 小さな文字が追加された。

 ――どちらか一つを選択してください。

 凛音は震える手を伸ばした。

 けれど。

 クリックすることはできなかった。

「……選ばない」

 凛音は呟いた。

「そんなの、選ばない」

 画面が一瞬だけ点滅した。

 ――回答を受理しました。

「え?」

 凛音の背筋が凍る。

 ――第三の選択を確認。

「第三……?」

 画面が暗くなる。

 そして。

 最後に一文字だけ。

 ――ERROR。

 パソコンの電源が落ちた。

 図書室が静かになる。

 凛音はしばらく動けなかった。

 やがて。

 背後から声がした。

「……やっぱり」

 凛音が振り返る。

 そこに。

 久遠悟が立っていた。

 さっきまで一緒にいた悟とは違う気がした、、

「悟……?」

「君ならそうすると思った」

「何を?」

「どっちも選ばない」

「……」

 悟は静かに笑った。

「それが、一番怖い」

「どうして?」

「今までの君は」

 悟は凛音を見つめた。

「必ず、どちらかを選んだから」

「……」

「世界か、俺か」

 凛音は首を横に振った。

「違う」

「何が?」

「今の私は」

 凛音ははっきりと言った。

「そんな二択、認めない」

 悟は黙った。

「世界を救うためにあなたを殺すとか」

「……」

「あなたを救うために世界を壊すとか」

「……」

「そんなの、どっちも嫌」

 凛音は一歩近づいた。

「私たちが間違ってるなら」

 悟を見る。

「三つ目を探せばいい」

 悟は笑った。

 ほんの少し。

 寂しそうに。

「……それも」

「何?」

「毎回、最後には君が言う」

「え?」

「三つ目を探そうって」

 凛音は息を止めた。

「じゃあ、どうなるの?」

 悟は答えた。

「三つ目を探すたびに」

 懐中時計を見る。

「世界が一つ増える」

「……」

「だから」

 悟は時計を凛音に渡した。

「100回目は、まだ始まってない」

「じゃあ今は?」

「準備中」

「誰が準備してるの?」

 悟は答えなかった。

 ただ。

 図書室の窓の外を見た。

 夕焼け。

 その空の向こう。

 まるで巨大な何かが。

 この世界を覗いているような気がした。

「凛音」

「うん」

「一つだけ、聞いていい?」

「何?」

「もし」

 悟は少しだけ迷ってから言った。

「この世界が作られたものだったとして」

「うん」

「それでも、君は俺と一緒にいたい?」

 凛音はすぐに答えなかった。

 しばらく考える。

 そして。

「分からない」

 悟が目を見開く。

「でも」

 凛音は笑った。

「作られた世界だからって、そこで感じた気持ちまで偽物になるとは思わない」

 悟は何も言わなかった。

「あなたは?」

「……分からない」

「また?」

「うん」

「じゃあ」

 凛音は手を差し出した。

「一緒に考えよう」

 悟はその手を見る。

 そして。

 ゆっくり握った。

 その瞬間。

 懐中時計が鳴った。

 カチ。

 二人は同時に時計を見る。

 11時59分。

 その針が。

 初めて。

 ほんの一ミリだけ。

 動いた。

 そして。

 時計の裏側。

 今まで何もなかった場所に。

 新しい文字が浮かび上がった。

 ――101回目の君へ。

 凛音は息を止めた。

「……101?」

 悟も言葉を失っている。

「100回目じゃないの?」

 悟は答えない。

 ただ。

 時計を見つめながら。

 震える声で呟いた。

「……違う」

「何が?」

「俺たちが間違えてた」

 悟はゆっくり顔を上げた。

「100回目は」

 そして。

「終点じゃない」

 凛音の背後で。

 図書室のパソコンが。

 電源の入っていないはずの画面に。

 一行だけ表示した。

 ――観測者:次のページへ。

 凛音は振り返る。

 画面には。

 見覚えのない数字が表示されていた。

 101。

 その下に。

 もう一つ。

 小さな文字。

 ――読者の選択を待っています。

 凛音は動けなかった。

 悟も。

 何も言わなかった。

 ただ二人で。

 その画面を見つめていた。

 まるで。

 誰かが。

 こちらを見ていることを。

 初めて知ったように。

 ――そして。

 その「誰か」が。

 自分たちの世界の外側にいることを。

 知ってしまったように。

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