100回目の君へ【第2部】何度目の恋(第十一章 出会いは、誰が決めた?)

小説
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第十一章 出会いは、誰が決めた?

 放課後。

 凛音は悟と待ち合わせをした。

 駅前の小さな公園。

 いつもなら、どうでもいい話をしながら帰る場所だ。

 けれど、今日は違った。

 悟は凛音を見るなり、何も言わずに近づいてきた。

「……凛音」

「うん」

「昨日、俺たち、何かを約束しなかった?」

 凛音は息を止めた。

 約束。

 その言葉に、胸の奥が反応した。

 何かを約束した。

 絶対に忘れないと。

 離さないと。

 そんな約束を。

 誰かと。

 いや。

 悟と。

「……したと思う」

「何を?」

「分からない」

 悟は苦笑した。

「また、それか」

「悟だって、分からないって言うじゃない」

「それはそうだな」

 二人は少しだけ笑った。

 けれど、すぐに笑顔が消えた。

 悟がポケットから懐中時計を取り出したからだ。

 アンティークな金色のケース。

 ローマ数字が並ぶ文字盤。

 秒針は、11時59分で止まっている。

 裏面には、見慣れない文字が浮かんでいた。

『検証対象:最初の出会い』

「……最初の出会い?」

 凛音が読み上げると、悟は頷いた。

「さっき、突然こうなった」

「これって、私たちが初めて会った日のこと?」

「たぶんな」

「でも、私たちはもう会ってるよ」

「ああ」

 悟は懐中時計を閉じた。

「だから、変なんだ」

 その瞬間。

 公園の時計が止まった。

 車の音が消えた。

 風が止まった。

 木の葉が、空中で静止している。

「悟……?」

「動くな」

 悟が凛音の手を握った。

 その手は、少し冷たかった。

「今度は、何が始まるんだ……」

 次の瞬間。

 世界が裏返った。

 気がつくと、二人は教室に立っていた。

 窓から差し込む朝日。

 黒板。

 整然と並んだ机。

 どこか懐かしい景色。

 凛音は息を呑んだ。

「……ここ」

「俺たちが、初めて会った教室か?」

 悟が呟く。

 教室の前方には、二人の生徒が立っていた。

 一人は、見覚えのある制服を着た少女。

 もう一人は、転校生らしい少年。

 少女の顔は、よく見えない。

 けれど。

 少年の顔は、はっきりと見えた。

 久遠悟だった。

 今の悟よりも、少し幼い。

 まだ何も知らない顔。

 凛音は隣にいる悟を見た。

 そして、もう一度、教室の前を見た。

「……悟が、二人いる」

「そうみたいだな」

「どっちが本物?」

 悟は答えなかった。

 教室の前にいる少年が、少女に向かって口を開いた。

「……どこかで、会ったことある?」

 その言葉を聞いた瞬間。

 凛音の頭の中で、何かが弾けた。

 違う。

 違うはずだ。

 最初に会ったとき、悟はそんなことを言わなかった。

 少なくとも、凛音の記憶では。

 少年は困ったように笑い、少女を見つめていた。

 少女は少しだけ首を傾ける。

 そして。

「……初めまして」

 そう答えた。

 その瞬間、懐中時計が激しく震えた。

 悟が蓋を開く。

 文字盤の下に、新しい文字が浮かび上がっていた。

『異常を検知』

『初期記憶との不一致』

『修正を開始します』

「初期記憶って……」

 凛音が呟いた。

 そのとき。

 教室の一番後ろに、白衣の女性が立っていることに気づいた。

 長い髪。

 疲れ切った目。

 見覚えのある顔。

 自分だった。

 未来の自分。

 彼女は二人を見つめていた。

 そして、凛音に向かって口を動かした。

 声は聞こえない。

 それでも、凛音には分かった。

『その子に、話しかけないで』

 白衣の凛音は首を横に振った。

『お願い。その出会いを、やり直さないで』

 凛音は一歩踏み出した。

「待って!」

 その声に反応したのか、白衣の女性が顔を上げた。

 彼女の目には、涙が浮かんでいた。

 次の瞬間。

 黒板に文字が現れた。

『最初の出会いは、記録と一致しません』

 続いて。

『本来、天星凛音と久遠悟は、この日に出会う予定ではありませんでした』

 教室がざわめいた。

 誰もいないはずなのに。

 何十人もの生徒が話しているような声が響く。

『では、誰が二人を出会わせたのでしょうか?』

 凛音は白衣の女性を見た。

 女性は、ゆっくりと頷いた。

「……私が、出会わせたの」

 今度は、声が聞こえた。

 自分と同じ声だった。

「どうして?」

 凛音が叫ぶ。

「どうして、そんなことをしたの?」

 白衣の女性は唇を噛んだ。

「あなたたちが出会わなければ、何も始まらなかったから」

「何が?」

「全部よ」

 教室の窓に、ひびが入った。

「あなたたちの記憶も、世界の再構成も、100回という数字も」

 女性は苦しそうに笑った。

「そして、私の失敗も」

「失敗って何?」

「……ごめんね」

 また、その言葉。

 凛音は、それが嫌だった。

 何も説明せず、謝るだけ。

 何かを隠して、いなくなるだけ。

「謝らないで!」

 凛音は叫んだ。

「私は、何も知らない! 何も覚えてない! なのに、どうして私だけが選ばなきゃいけないの?」

 白衣の女性は、目を伏せた。

「あなたは悪くない」

「だったら!」

「私が、そうなるようにしたから」

 その言葉が、教室に響いた。

 凛音は息を止めた。

 白衣の女性は、隣にいる悟を見た。

「あなたが彼を選ぶたびに、世界は壊れていく」

 悟が一歩前に出る。

「だったら、どうすればいい?」

 女性は答えなかった。

「俺が凛音を好きにならなければいいのか?」

 沈黙。

「凛音が俺を好きにならなければいいのか?」

 白衣の女性は、目を閉じた。

「……そんな簡単なことじゃない」

「じゃあ、何なんだよ!」

 悟の声が震えた。

「俺たちは、何を間違えたんだ?」

 女性は、しばらく二人を見つめていた。

 そして。

「あなたたちは、何も間違えていない」

 静かに言った。

「ただ、私が……」

 彼女の声が途切れる。

 白い光が、足元から広がり始めた。

「今度こそ、悟を救って」

 女性は凛音に向かって手を伸ばした。

「お願い、凛音」

 その手は、あと少しで届きそうだった。

「今度こそ、私を思い出して」

 光が教室を覆った。

 目を開けたとき、凛音は悟の手を握っていた。

 どこにいるのか分からない。

 白い空間。

 上下も左右もない。

 ただ、目の前に文字が浮かんでいた。

『第101回観測』

『第二段階:終了』

『次の検証対象――天星凛音の記憶』

「……記憶?」

 凛音は呟いた。

 すると、機械のような声が響いた。

『初期記憶の整合性を確認します』

『対象者:天星凛音』

『消去対象:最初の記憶』

「待って!」

 凛音は悟の手を強く握った。

「最初の記憶って、何?」

 悟も声を上げた。

「おい! 何を消すつもりだ!」

 返事はない。

 代わりに、目の前に映像が浮かんだ。

 桜の花びら。

 教室。

 窓際の席。

 そして、誰かが笑う声。

 凛音は、その映像を見つめた。

 懐かしい。

 とても懐かしい。

 なのに。

 誰の顔も、思い出せない。

「……私、誰と会ったの?」

 自分の声が遠く聞こえた。

 悟が叫んだ。

「凛音! 俺を見て!」

 凛音は顔を上げた。

「俺は、久遠悟!」

 悟の目には、涙が浮かんでいた。

「君が何を忘れても、俺は君を覚えてる!」

 その言葉を聞いた瞬間。

 凛音の胸が、ひどく痛んだ。

 どうして、そんなに悲しい顔をするのだろう。

 どうして、自分はこの人を泣かせたくないのだろう。

 どうして。

 この手を離したくないのだろう。

「……悟」

「ああ。ここにいる」

「私、あなたに……」

 言葉が続かなかった。

 何かを伝えなければならない。

 今、伝えなければ。

 もう二度と、伝えられなくなる。

 そんな気がした。

 凛音は、涙をこらえて笑った。

「あなたに、会えてよかった」

 その瞬間。

 手の感触が消えた。

 悟の顔が遠ざかる。

 白い光が、凛音の視界を塗りつぶしていく。

「凛音!」

 悟の声が聞こえた。

 けれど。

 凛音はもう、彼の顔を思い出せなかった。

 最後に聞こえたのは。

 誰かの声。

 とても懐かしい声。

『やっと会えた』

 それが悟の声なのか。

 それとも、自分自身の声なのか。

 分からなかった。

 午前6時12分。

 凛音は目を覚ました。

 自分の部屋。

 見慣れた天井。

 見慣れたカーテン。

 いつもと同じ朝。

 ただ一つ違うのは。

 胸の奥に、ぽっかりと穴が開いていることだった。

 凛音はスマートフォンを手に取った。

 画面には、久遠悟の名前がある。

 メッセージが一件。

『おはよう』

 たったそれだけ。

 凛音は画面を見つめた。

 どうしてだろう。

 その名前を見るだけで、涙が出そうになる。

 返信しようとした。

 けれど、何と書けばいいのか分からなかった。

 友達だから?

 大切な人だから?

 それとも。

 もっと別の何かだから?

 凛音は、しばらく考えた。

 そして。

『おはよう』

 そう返した。

 送信。

 すぐに既読がついた。

 悟から、もう一通。

『今日、会える?』

 凛音は頷いた。

 もちろん、画面の向こうには伝わらない。

 それでも、返信した。

『うん』

 その瞬間。

 スマートフォンの画面が、一度だけ暗くなった。

 そして。

 見覚えのない通知が表示された。

『記憶継承を確認』

『観測対象R-100:正常』

『観測対象S-100:正常』

『第101回観測 第一段階:完了』

 凛音は息を止めた。

 最後に、一文が表示された。

『次の検証対象は、あなたたちの出会いです』

 画面は元に戻った。

 何もなかったかのように。

 凛音はスマートフォンを握りしめた。

 忘れてしまった。

 大切な何かを。

 けれど。

 まだ、終わっていない。

 そんな気がした。

 その日の夜。

 スマートフォンを確認した。

 悟からのメッセージは増えていない。

 懐中時計も、手元にはない。

 それなのに。

 画面の端に、小さな通知が一つだけ残っていた。

 送信者は表示されていない。

 本文もない。

 ただ、未読の数字だけが赤く光っている。

 凛音が触れようとした瞬間。

 通知は消えた。

 そして、スマートフォンが震えた。

 今度は、メッセージだった。

 差出人。

 天星凛音。

 本文。

『まだ、間に合う』

 凛音は、しばらく画面を見つめていた。

 続けて、二通目が届いた。

『お願い』

 三通目。

『今度こそ、同じ間違いをしないで』

 凛音の指が止まった。

 同じ間違い。

 何を間違えたのだろう。

 そして。

 何を、繰り返そうとしているのだろう。

 最後に、もう一通。

『次は、悟を好きにならないでーー』

 そこで文章は途切れていた。

 画面が乱れる。

 文字が一瞬、別の形に変わった。

 そして、元に戻る。

『お願い。忘れないで』

 凛音はスマートフォンを伏せた。

 心臓が、嫌な音を立てていた。

 忘れないで。

 何を?

 誰を?

 その答えを知っている気がする。

 けれど、思い出そうとすると、頭の奥が痛んだ。

 しばらく横になってから、約束通り、悟に会いに出かける事にした。

 そのころ。

 別の場所で、久遠悟は、 夢の中で見た少女の顔が、どうしても忘れられなかった。

 少女は、彼に何かを伝えようとしていた。

 けれど、その言葉だけが思い出せない。

 悟は枕元の懐中時計を手に取った。

 針は、11時59分。

 裏面の文字は、いつの間にか変わっていた。

『101回目の君へ』

 悟は、しばらくその文字を見つめた。

「……君って、誰なんだ」

 答える者はいなかった。

 ただ、止まったはずの秒針が。

 一度だけ。

 カチリ、と音を立てた。

 そして、時計の裏面に、新しい文字が浮かび上がった。

『検証対象:感情の発生順序』

 悟は眉をひそめた。

 その下に、さらに小さな文字が現れる。

『第一世界:久遠悟』

『第二世界:天星凛音』

『第三世界:未確定』

 悟の指が止まった。

「……感情の、発生順序?」

 その瞬間。

 頭の奥で、誰かの声が響いた。

 ――好きにならないで。

 悟は顔を上げた。

 誰もいない部屋。

 静まり返った夜。

 それでも、その声は確かに聞こえた。

 まるで。

 自分が、何度も聞いてきた言葉のように。

 悟は懐中時計を握りしめた。

「……凛音」

 その名前を口にしたとき。

 時計の針が、ほんのわずかに動いた。

 11時59分。

 止まった時間の、その先へ。

 まだ誰も知らない世界が、静かに動き始めていた。

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