100回目の君へ【第1部】やっと会えた(プロローグ~第二章)

小説
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第1部 やっと会えた

プロローグ 23時59分

「次の人生では、絶対に間違えないで」

誰かが、そう言った。

声は近かった。

耳元で囁かれたようにも聞こえたし、ずっと遠くから呼びかけられたようにも聞こえた。

男なのか、女なのかも分からない。

大人なのか、子どもなのかも分からない。

ただ、その声を聞いた瞬間、天星凛音(てんせい りお)はいつも泣いていた。

理由は分からない。

悲しいのか。

悔しいのか。

寂しいのか。

それとも――。

嬉しいのか。

分からない。

夢の中で、凛音はいつも死ぬ。

あるときは、銃声の中だった。

赤い空の下を、泥だらけの少年が走っていた。

少年の手には血がついていた。

誰の血なのか分からない。

自分のものなのか。

誰かを傷つけたものなのか。

少年は振り返る。

そこに、誰かが立っている。

顔は見えない。

けれど、少年はその人物を知っていた。

「……また会えた」

少年が言う。

次の瞬間、銃声。

視界が真っ白になる。

そして声がする。

――次の人生では、絶対に間違えないで。

また別の夢では、古い町並みの中にいた。

着物を着た女が、夕暮れの道を歩いている。

名前は分からない。

年齢も分からない。

ただ、胸の奥には誰かを待っている感覚だけがあった。

橋の向こうに男が立っている。

その男を見た瞬間、女は笑う。

「遅いよ」

男は答えない。

ただ悲しそうに女を見る。

そして――。

また、声。

――次の人生では、絶対に間違えないで。

また別の夢。

高速道路。

雨。

割れたフロントガラス。

救急車のサイレン。

誰かが凛音の手を握っている。

「大丈夫だから」

その声を聞いた瞬間、凛音は思う。

嘘だ。

大丈夫じゃない。

自分はもう死ぬ。

そして最後に、その人の顔を見る。

――久遠悟(くおん さとる)。

名前だけが、なぜか頭に浮かんだ。

夢から覚める。

いつもそこで終わる。

しかし、その朝だけは違った。

「……え?」

天星凛音は、自分の部屋で目を覚ました。

午前六時十二分。

カーテンの隙間から、薄い朝日が差し込んでいる。

いつもの部屋。

いつもの天井。

いつものベッド。

机の上には昨日読みかけだった漫画。

床には脱ぎっぱなしの靴下。

スマートフォンは充電ケーブルから外れ、画面には六時十二分と表示されている。

何も変わっていない。

なのに――。

凛音は胸元を押さえた。

心臓が、異常なほど速く動いている。

「……久遠悟」

自分でも驚くほど自然に、その名前が口から出た。

誰?

そう思った。

知らない名前。

少なくとも、現実の世界では知らない。

学校にもいない。

近所にもいない。

SNSで見た記憶もない。

それなのに。

なぜか、その名前だけは知っていた。

しかも、初めて聞いた名前ではない。

ずっと昔から知っていたような。

何度も何度も呼んできたような。

「……誰なの?」

返事はない。

当然だった。

部屋には凛音しかいない。

凛音はベッドから起き上がった。

窓を開ける。

朝の空気が入ってくる。

少し冷たい。

九月の終わり。

夏はもう終わりかけている。

学校がある。

今日は二学期最初の席替えがある。

そんな、ごく普通の一日。

凛音は自分に言い聞かせた。

「夢だよね」

きっとそうだ。

夢なんて、そんなものだ。

意味のない映像。

脳が勝手に作り出した記憶のようなもの。

知らない人が出てくることだってある。

知らない場所に行くこともある。

だから――。

「久遠悟っていう人が出てきただけ」

そう言って笑おうとした。

しかし。

なぜか笑えなかった。

夢の最後に聞こえた声が、まだ耳に残っていた。

――次の人生では、絶対に間違えないで。

その言葉だけが、何度も頭の中を回っていた。

第一章 転校生

「転校生が来ます」

朝のホームルーム。

担任の教師がそう言った瞬間、教室の空気が少しだけ変わった。

高校二年。

転校生。

それだけで、教室には小さなざわめきが起こる。

「男子? 女子?」

「どこから?」

「イケメン?」

「そこ重要?」

「超重要」

後ろの席からそんな声が聞こえて、凛音は思わず笑った。

普通だ。

いつもの学校。

いつものクラス。

昨日までと何も変わらない。

なのに。

なぜか、嫌な予感がした。

担任が教室のドアを見る。

「入って」

ドアが開く。

一人の少年が入ってきた。

黒髪。

少し長めの前髪。

細身。

制服をきちんと着ているが、どこか無造作な雰囲気がある。

背は高い。

そして――。

凛音は息を止めた。

「……」

目が合った。

その瞬間。

世界の音が消えた。

教室にいる三十人近い生徒の声も。

窓の外を走る車の音も。

時計の秒針さえも。

全部消えた。

少年だけが見える。

少年は凛音を見ていた。

驚いている。

いや。

驚いているというより――。

確認している。

まるで、ずっと探していたものを見つけたように。

そして。

少年は、小さく笑った。

「……やっと会えた」

凛音の背中に、冷たいものが走った。

「え?」

思わず声が漏れる。

だが少年は何事もなかったかのように前を向いた。

担任が黒板に名前を書く。

久遠悟

「久遠悟くん。今日からこのクラスで過ごします」

拍手が起こる。

凛音は拍手をしなかった。

できなかった。

頭の中が真っ白だった。

久遠悟。

夢の中で聞いた名前。

さっき、目の前に現れた少年。

そして。

「やっと会えた」

その言葉。

どういう意味なのか。

分からない。

ただ一つだけ。

凛音は確信していた。

この人は、自分を知っている。

しかも――。

初めて会ったわけではない。

そんな気がした。

悟の席は、凛音の斜め前になった。

偶然だった。

担任が適当に空いている席を指定しただけ。

それなのに凛音には、その配置すら仕組まれているように思えた。

授業が始まっても、内容が頭に入らない。

黒板を見る。

先生を見る。

ノートを書く。

そのふりをしながら、何度も前を見る。

久遠悟。

彼は普通に授業を受けている。

教科書を開き。

ノートを取り。

先生に当てられれば答える。

本当に普通の高校生だった。

「……なんなの」

凛音は小声で呟いた。

すると。

前の席の悟が振り返った。

「何が?」

「!」

凛音は固まる。

「いや……」

「俺?」

「……そう」

「何?」

「……さっき」

「さっき?」

「やっと会えたって言ったでしょ」

悟は少し黙った。

そして。

「言った?」

「言った」

「聞き間違いじゃない?」

「絶対違う」

悟は笑った。

「じゃあ、そうかも」

「そうかもって何よ」

「気にしなくていいよ」

「いや、気になるでしょ」

「そのうち分かる」

「何それ」

凛音が睨むと、悟は前を向いた。

それ以上は何も言わなかった。

授業が終わる。

休み時間。

クラスメイトたちが悟の周りに集まる。

どこから来たの。

前の学校は。

部活は。

好きな食べ物は。

彼女いるの。

典型的な質問が飛び交う。

悟は一つずつ答えている。

「前は県外」

「部活はやってなかった」

「好きな食べ物は……」

そこで悟は少し考えた。

「プリン」

「子どもっぽ!」

誰かが笑う。

悟も笑った。

凛音はその様子を遠くから見ていた。

普通だ。

やっぱり普通の人。

夢なんて偶然。

名前が一致しただけ。

「凛音」

突然、隣の友達が声をかけてきた。

「何?」

「あの転校生、気になる?」

「え?」

「ずっと見てるから」

「見てないし」

「見てるじゃん」

「見てない」

「顔赤いよ」

「暑いだけ!」

友達はニヤニヤする。

「ふーん」

凛音は慌てて窓の外を見た。

空は青かった。

雲が一つだけ浮かんでいる。

その雲を見ながら、凛音は思った。

――私は、あの人を知っている。

根拠はない。

記憶もない。

だけど。

胸の奥がそう言っていた。

放課後。

凛音は一人で校門を出た。

今日は委員会も部活もない。

早く帰って、昨日の続きを読もうと思っていた。

駅へ向かう途中、コンビニに寄る。

新作スイーツの棚を見る。

「……プリン」

昼間の悟の言葉を思い出した。

なぜか少し腹が立った。

「なんで私、あいつの好きなもの覚えてるのよ」

誰も聞いていないのに言い訳する。

プリンを一つ取る。

そしてレジへ向かう。

店を出る。

そのときだった。

「天星」

後ろから声がした。

振り返る。

悟だった。

「……なんでいるの?」

「俺もコンビニ寄った」

「そう」

「帰る方向、同じ」

「……そうなんだ」

二人で歩き始める。

夕方の道路。

車が走っている。

コンビニの袋が、凛音の手の中で揺れる。

しばらく無言だった。

凛音は気まずさに耐えられなくなった。

「ねえ」

「うん」

「転校してきた理由って何?」

「親の仕事」

「どこから来たの?」

「遠いところ」

「ざっくりしすぎ」

悟が笑う。

「天星は?」

「私?」

「うん」

「何が?」

「どこから来たの?」

「ずっとここ」

「そう」

また沈黙。

少し歩いて。

悟が言った。

「昨日、夢見た?」

凛音の足が止まった。

「……え?」

悟は前を向いたままだった。

「夢」

「なんで?」

「聞いただけ」

「……どんな夢?」

悟は答えなかった。

凛音は急に怖くなった。

「ねえ」

「うん」

「あなた、何を知ってるの?」

悟は立ち止まった。

夕日が横顔を照らしている。

その顔を見ていると、また胸が苦しくなる。

どこかで見たことがある。

でも思い出せない。

「天星」

「何?」

「昨日の夢」

悟は凛音を見る。

「雨だっただろ」

凛音の呼吸が止まった。

「……」

「傘、持ってなかった」

「……なんで?」

「雨に濡れてた」

「なんで知ってるの?」

悟は答えない。

「夢の中で、君は橋の上にいた」

凛音の手から、コンビニの袋が落ちた。

プリンが入っている。

それが道路脇に転がった。

「……なんで知ってるの?」

もう一度聞いた。

今度は声が震えていた。

悟は静かに言った。

「同じ夢を見たから」

「……嘘」

「嘘じゃない」

「だって、あれは私の夢だよ」

「そうだね」

「じゃあ、なんで?」

悟は少しだけ悲しそうに笑った。

「俺にも分からない」

「分からないって……」

「でも」

悟は空を見上げた。

夕暮れの空。

薄い雲。

そして。

「今回も、雨だった」

その言葉を聞いた瞬間。

凛音の頭の中で、何かが弾けた。

――雨。

橋。

誰か。

そして。

「……悟」

無意識に名前を呼んだ。

悟が凛音を見る。

その瞬間。

凛音は、見た。

目の前にいる高校生の姿ではない。

別の姿。

軍服を着た少年。

着物を着た青年。

白衣を着た男。

老人。

そして――。

血に濡れた手。

凛音は息を呑んだ。

「……今」

「うん」

「今、何人も……」

視界が揺れる。

「凛音!」

初めて、悟が名前を呼んだ。

その声だけは、はっきり聞こえた。

「大丈夫?」

「……大丈夫」

「本当に?」

「うん」

嘘だった。

大丈夫なわけがない。

悟が落ちた袋を拾う。

プリンを凛音に渡す。

「これ」

「……ありがとう」

「帰ろう」

「うん」

二人は再び歩き始めた。

しかし凛音は、もう悟の横顔を見ることができなかった。

怖かったからではない。

どこかで――。

ずっと会いたかったような気がしたからだ。

第二章 百回目のストーカー

翌朝。

凛音はほとんど眠れなかった。

昨日の夢。

悟の言葉。

そして、自分が見た幻。

何度も考えた。

偶然だ。

きっと偶然。

そう思おうとした。

けれど。

学校に着くと、悟はもう教室にいた。

窓際の席。

頬杖をつきながら、外を見ている。

凛音が教室に入ると、悟が振り返った。

目が合う。

「おはよう」

「……おはよう」

「眠そう」

「誰のせいだと思ってるの」

「俺?」

「あなた以外に誰がいるの」

悟は少し笑った。

「じゃあ責任取らないとね」

「何の?」

「眠れなかった責任」

「どうやって?」

「放課後、プリン奢る」

凛音は思わず笑った。

「それだけ?」

「それ以上必要?」

「……まあいいけど」

二人で笑う。

その瞬間。

不思議な感覚がした。

昨日まで知らなかった人なのに。

ずっと昔からこうして話していたような。

初めてではない。

そんな気がする。

放課後。

二人は約束どおりコンビニへ行った。

悟がプリンを二つ買う。

「はい」

「ありがとう」

「昨日のやつ?」

「うん」

「好きなの?」

「普通」

「じゃあ、なんで買うの?」

「好きなんじゃない?」

「誰が?」

「俺」

「自分で言うんだ」

悟は笑った。

店を出る。

二人で並んで歩く。

凛音はプリンを見ながら言った。

「ねえ」

「うん」

「悟ってさ」

「うん」

「私のこと知りすぎてない?」

悟は少し考えた。

「そうかな」

「そうだよ」

「知りたいから知ってるだけ」

「……ストーカー?」

悟は笑った。

「百回目のストーカー」

「……何それ」

凛音は笑った。

悟も笑った。

その会話は、二人にとって何気ない冗談だった。

少なくとも、このときの凛音にはそう思えた。

けれど。

その夜。

凛音は夢を見た。

今までとは違う夢だった。

夢の中で、自分は誰かに抱きしめられていた。

冷たい雨が降っている。

耳元で、誰かが泣いている。

「お願いだから」

誰かが言う。

「もう一度だけ」

凛音は目を開けようとする。

けれど開かない。

「次は、間違えないから」

その声を聞いて、凛音は思った。

この声。

知っている。

ずっと知っている。

そして。

自分も同じ言葉を返していた。

「次は、私が――」

そこで夢が途切れる。

凛音は目を覚ました。

午前二時。

部屋は暗い。

心臓が激しく鳴っている。

「……今の、何?」

ベッドから起き上がる。

水を飲もうとした。

そのとき。

机の上に置いてある古い懐中時計が目に入った。

祖母からもらったもの。

物心ついた頃から持っている。

動かない時計。

ずっと壊れている。

凛音は手に取った。

いつもと同じ。

針は――。

「……23時59分?」

凛音は眉をひそめた。

現在時刻は午前二時。

なのに時計の針は、

23時59分を指している。

「いつもそうだったっけ?」

記憶を探る。

確かに。

ずっと、この時間だった。

子どもの頃から。

23時59分。

なぜだろう。

今まで気にしたことがなかった。

裏返す。

小さな傷がある。

そして、その傷の下に。

何か文字が刻まれている。

凛音は今まで、それに気づいていなかった。

指で表面をなぞる。

薄暗い部屋の中。

スマートフォンのライトを当てる。

そこに書かれていたのは――。

「100回目の君へ」

「……え?」

凛音の指が止まった。

誰が書いたのか。

いつ書かれたのか。

なぜ自分が持っているのか。

分からない。

ただ。

その文字を見た瞬間。

なぜか涙が出た。

理由は分からない。

悲しくない。

怖くもない。

なのに。

涙だけが頬を伝っていく。

そして。

どこからともなく、あの声が聞こえた。

――次の人生では、絶対に間違えないで。

凛音は時計を握りしめた。

「誰なの……?」

答えはなかった。

ただ。

時計の秒針が――。

一度だけ。

カチッ、と動いた。

23時59分。

そこから先には進まない。

凛音は時計を見つめた。

「……一分」

なぜか、その言葉が口から出た。

「あと、一分……?」

その意味を、凛音自身も理解していなかった。

翌日。

学校へ行くと、悟はいつもどおりだった。

「おはよう」

「……おはよう」

「顔色悪いよ」

「ちょっと眠れなかった」

悟の表情が変わった。

「夢?」

「……うん」

「時計を見た?」

凛音は固まった。

「……なんで?」

悟は答えない。

「何の時計?」

「分かってるんでしょ」

「何を?」

「私が持ってる時計」

悟は黙った。

その沈黙が答えだった。

「悟」

「うん」

「知ってるの?」

「……知ってる」

「いつから?」

悟はしばらく凛音を見つめた。

そして。

「最初から」

「最初って?」

「最初の人生から」

凛音の背筋が凍った。

「……人生?」

悟は視線を逸らした。

「今のは忘れて」

「忘れられるわけないでしょ!」

思わず声が大きくなる。

教室の何人かがこちらを見る。

凛音は慌てて声を落とした。

「どういう意味なの?」

悟は答えなかった。

その日の放課後。

悟は凛音を学校の屋上へ連れて行った。

夕暮れ。

風が強い。

空は赤い。

街の向こうに太陽が沈んでいく。

「ここなら誰にも聞かれない」

悟が言う。

凛音はフェンスの前に立った。

「話して」

「何を?」

「全部」

悟は黙っている。

「夢のこと」

「……」

「時計のこと」

「……」

「私たちが何回も会ってるってこと」

悟は目を閉じた。

「全部は話せない」

「なんで?」

「話したら、また同じことになる」

「何が?」

悟が目を開ける。

その目は、今まで見たことがないほど疲れていた。

「君が死ぬ」

風が吹く。

凛音の髪が揺れる。

「……私が?」

「うん」

「誰に殺されるの?」

悟は答えなかった。

凛音は悟を見た。

そして。

なぜか分かってしまった。

「……悟?」

悟は静かに言った。

「そう」

「私を殺したことがある?」

「ある」

「何回?」

長い沈黙。

夕日が沈む。

空の赤色が、少しずつ暗くなっていく。

やがて悟は答えた。

「……全部」

凛音の呼吸が止まった。

「全部って……」

「全部」

「何回?」

悟は空を見た。

そして。

「九十九回」

と、言った。

凛音は何も言えなかった。

「今回で百回目」

悟の声は震えていた。

「だから、やっと会えた」

その言葉を聞いた瞬間。

凛音の中で。

何かが崩れた。

恋でも。

恐怖でも。

記憶でもない。

もっと根本にある何か。

自分が自分であるために、ずっと信じていたもの。

その輪郭が。

静かに。

壊れ始めていた。

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